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根岸森林公園

根岸森林公園,トップ画像

根岸森林公園は、かつて根岸競馬場があった跡地に造られた市営公園です。


現在根岸森林公園で競馬場らしさを感じさせるものは殆ど残っていません。


ギャンブル感の全く無い、子供が元気よく走り回っている長閑な公園です。

根岸森林公園基本情報


住所 神奈川県横浜市中区根岸台


管理 横浜市環境創造局


開園 昭和52年10月


面積 193,102㎡


駐車場 200台


関連施設 根岸競馬記念公苑 馬の博物館 入館料大人100円 小中高校生30円


平成21年に近代化産業遺産の認定を受ける。

根岸森林公園案内図

乾いた冬の空の青色が鮮やかな日に、第三京浜を使って車を横浜へ走らせました。


行き先は根岸森林公園。


根岸森林公園は1867年に我が国最初の様式競馬が行われたところで、1943年6月まで競馬開催は続けられましたが、戦後は米国に接収され、米軍の駐車場とゴルフ場となってしまいました。


1969年に主としてゴルフ場だった場所が接収解除となり、横浜市は1972年から公園整備に着手。1977年10月1日に日本中央競馬会による競馬記念公苑とともに開園しました。

根岸森林公園レストハウス

根岸森林公園には2つの大駐車場があり各駐車場は離れています。ここでは第1駐車場に停めて公園を順に巡っていく形で紹介いたします。


車を降りてまず初めに視界に入ってくるのは公衆便所ですが、そこを通り過ぎコンクリートの建物に向かって歩くと根岸森林公園レストハウスに着きます。

根岸森林公園レストハウス,室内1

室内は無人の自動販売機コーナーになっています。

 

ブイーンと自動販売機が唸っている、いかにも公立公園らしい休憩所です。

根岸森林公園レストハウス,室内2

上と下で7か所違う所があります。さて何でしょう。

 

といったクイズでもこしらえようかと一瞬思いましたが面倒なので即却下。

 

2月にしては暖かく建物の中より外が心地よい日だったので、早速根岸競馬記念公苑方向へ移動しました。

根岸競馬記念公苑,馬事文化財団

ここには馬の博物館という立派な施設があり、あの天皇賞馬マイネルキッツに乗る事ができます。(2015年3月にマイネルキッツ号は故障を発症しイベントは当面中止)


その他馬に関するアカデミックな催し物が行われていたり、ターフィーグッズが販売していたり、結構楽しめる所です。


公益財団法人馬事文化財団ホームページ(外部サイトへ移動します)に詳しい情報が載っています。休館日があるので、そちらの確認はしっかり行う事をお勧めします。

根岸森林公園,全景

ご覧のように青さが鮮やかな冬空。絶好の散策日和です。


さてメインの公園は上の写真のとおり起伏に富んだゴルフ場そのものです。競馬場時代もこれだけ起伏があったとしたら、物凄い過酷なコースになっていたでしょう。

根岸森林公園,くつろぐ人たち

フェアウェイじゃなかった、手入れされた芝の場所では人がノンビリくつろいでいます。気候の良い時期にはもっと大勢の人が芝生でくつろいでいる事でしょう。

根岸森林公園,芝と冬木

人がくつろいでいると書いたのは動物もくつろいでいるからです。鳥も枝から降りて地面で一休みです。

根岸森林公園,くつろぐ鳥

横浜のような大きな街にここまで広い敷地の公園があるのは貴重です。


ゴルフコースのフェアウェイの外周は舗装された歩道になっていてジョギングを楽しむ人もいました。

根岸森林公園,恵まれた自然

歩道は左右背の高い木々に覆われていて、優しい木漏れ日を浴びながらウォーキングやジョギングができます。夏は直射日光を遮ってくれそうです。

根岸競馬場跡

むむ?


木々の隙間から不気味な建物が見えました。三か所出っ張った変な造りです。

米軍横須賀基地

近くに行くと物々しい入口が行く手を阻む。門の上には連合軍横須賀基地横浜分隊の表記が(和訳は怪しいです)あります。


そう。ここは冒頭で説明したとおり第2次大戦後に米国に接収された地域で、いまだ米国(連合国)が日本に返していない場所になります。

根岸森林公園,撮影禁止区域

しかもこの辺りは色々な事情でこの辺りは原則として撮影禁止区域となっています。


但、個人で楽しむ範囲の撮影は認められていると小さく書かれているので、個人で楽しむ範囲で撮った写真を交えて、旧競馬場跡を紹介してまいります。


※連合軍の立場から見て不適切な写真がありましたらお問い合わせページよりご連絡ください。

根岸森林公園,みなとみらい,ランドマークタワー

【写真は自主規制】この辺り、広い芝生の広場があり、ペットを散歩させている人を沢山見かけました。軍の施設の横ですが、のどかな公園です。


【写真は自主規制】スリーオンスリーを楽しめるバスケットボールのゴールがある辺りに連合軍基地の敷地らしさを感じさせます。


軍の施設に背を向けると横浜のランドマークタワーが見えます。さっきまでの青空がにわかに曇ってきました。

根岸競馬場観覧席全景

【写真は自主規制】この辺りに根岸競馬場に関する資料の案内板がいくつか立てられていて、当時の状況を知ることができます。


根岸競馬場は馬場と馬見所、下見所の施設があったとの事ですが、馬見所や下見所とはパドックの事でしょうか?


馬見所とは馬術の練習や競馬などを見るために設けられた見物場所をいい、ばけんじょと読むそうです。現在の競馬場は馬術が行われる事はないので「馬券所」ですね。


下見所はパドックの事をいいます。こちらは現在と同じ意味ですね。


根岸競馬場観覧席全景の写真を見てもあまり違和感が無いのは、現在の競馬場とほとんど変わりないからでしょう。1930年頃のデザインが今でも通用している事から、そのデザインの完成度がいかに高いかを窺い知る事ができます。

根岸競馬場観覧席

連合軍施設が写らないように根岸競馬場の観覧席を撮影。


この建物が上流階級の社交場として賑わっていたのは昭和モダンに沸いた時代の最後のあたりでしょう。蔦が壁にへばり付いていても高級感が感じられます。


この根岸競馬場観覧席の竣工後、日本は満州事変(1931年)、五・一五事件(1932年)二・二六事件(1936年)、盧溝橋事件(1937年)、と戦争によって国内経済と欧米列強からの圧力を打開する方向へ舵を切っていくことになります。


その後、日本は戦争に敗れ、日本の上流階級のために造られた社交場はアメリカに持っていかれてしまいました。


時と持ち主は遷り変われど建物は変わらない。少しずつ傷みながらだけど味わいを増している建物の様子に学ぶところは少なくありません。